ま ば ら な
【dear innerchild】


2021.9.8




私は今日、初めて自分のインナーチャイルドに会った。



長い文章を書かずにどれくらい経っただろう。言葉にできないことがたくさん起こったので、自分に向き合う言葉に限界を感じ、身体から出る言葉だけが信じられると感じて、声だけで伝えようとした時期もあった。ヒトには尋ねられないことをカードたちに頼って言葉をもらったり、言霊の勉強に突っ込んだり、ともかく(相変わらず)手当たり次第に自分の表出を試した。



現在、名前のことだま師さんにお世話になって、自分の紐解きを助けていただいている最中なのだが、先日、私の防衛本能の話になった。病気それ自体もそうなのだが、特に2019年の7月に何かそれまでと次元の違うことが自分に起こったあと、自分が何かに導かれると同時に守られているような、存在が隠されているような感覚が、強く続いている。

その正体が、自分の防衛本能なのではないかという指摘を受ける。そして、それはもう必要がないから、手放す方がよいというアドバイスもいただいた。手放しやすいように、イメージしてみましょう、そのセキュリティー機能はどんな感じなんですか?と聞かれて、私は、自分に、厚さ10cmくらいのエスキモーのドームのようなものがかぶさっていて、それはこちらからは見えるけれど、外からは見えない素材でできているのだと答えた。それを解除する方法は分からなかったけれど、そのセキュリティーシステムのイメージは、我ながら本当によく言い当てているなと思った。

最近、号泣することが多くなっているが、その日から、一層、力づくで号泣する頻度が増した。



10年ほど愛した女性がいて、その愛にはとても苦しんだ。その愛もそれを抱く自分も肯定できずに、ひたすら自分を責めながら、でも愛することをやめることはできなかった。地獄だった。あるとき、『傷つくならば、それは「愛」ではない』という本に出会い、そこから私は180度考え方を変えた。この愛を本当に大事にしたいなら、傷ついてはだめなんだと自分を叱咤激励して、愛も自分も無理矢理にでも肯定しはじめた。私の目に映る世界は驚くほど変わっていった。そこから約2年して、結局、現実が目に見える形で動くことはなかったけれど、おそらく彼女を愛する自分を本当に許せたとき、私に、新たな出会いが訪れた。当時は、自分の中にインパクトがあったというだけだったのだが、後から振り返るとちょうどその時期から病気の症状が消えていき、私は20年の病気状態から想像もしなかった仕方で抜けた。言葉にできないことが次々と起こり、私は目の前に現れる課題をこなすことで精一杯で、そこから1年ほど経ったとき、そのヒトに画面越しで会う機会を得た。なぜ会おうと思ったのかもよく分からなかったのだが、その方がよい気がしたのだ。しかしその面談に対しては、ものすごいプレッシャーがかかってきていて、一度は体調悪化で断念し、二度目に会うときにも宇宙の介入やプレッシャーがものすごくて、私は面談中、声が出せない有様だった。その面談が終わるとともに、私は強烈な恋に落ちた。自分が全くコントロール不能になり、気持ちを捨てようとしても、関与をやめようとしても、まるでサポートが敷かれているように気持ちを支持するような、不可思議なことが起こりつづけた。そうやって、出会いから2年が過ぎ、現実が1mmも動かないまま、妄想で愛し合うようになった。ツインレイというものの情報に出会い、それらによればそういう行為もテレパシーの交換、エネルギーの交流として肯定されていたから、そういうものなのか、現実で見えていることよりも、これが真実なのかもしれないと思っていた。けれどおそらく、現実との齟齬が激しくなりすぎたのだろう、現実レベルで他者に見える形で彼に関与できる状態から、離れることになった。この現象は、自分の決心とも、宇宙の介入とも判断がつかなかった。私は何時間も、寄せる波のように、号泣した。病気のときは、泣くこと自体ができなかったから、最近の号泣は、むしろ私にとっては、感情の解放になっていると言ってもよかった。振り絞るように泣いていても、悲しいだけの涙ではなく、泣くという行為を心と身体で嫌というほど体感しているような、自分が生きていることを感じる、むしろ快感にすら感じるのだった。



なぜ人生においてこれほどの厳しさに立ち会うことがあるのか。最近、分かったことは、私たちがこの地球で身体を持って生きている、ともすると耐え難いほどの厳しさを目の当たりにするのは、宇宙に向けて、できるだけ鮮明な形で、私たち、ひいてはこの地球、世界をよいものにするためのオーダー(お願い)を出すためなのだということだった。宇宙(神さまと言ってもよいかもしれない)は、常に私たちを見守っているけれど、自ら能動的に私たちを助けることはできない。オーダーに応える形でしか、この三次元の現実をサポートできないのだ。だから、私たちは、祈り、願う。幸福を、平和を、平等を。宇宙はもともと、そういう世界だから、それとの差分が伝わるようなオーダーしか、通らない。宇宙には個人の概念がないので、個人的に過ぎるオーダーも、通りにくい。その代わり、それら真の安寧に繋がる可能性を持つオーダーは、個人的であれ、タイムラグこそあれ、願い方さえ間違えなければ、いくらでも実現可能だと言っていい。



明け方から布団の中で号泣していて、ふと、目を開いたとき、そこにいたのは彼ではなかった。
黒髪の小さな頭。子ども特有の匂い。
私は一瞬で、それが自分のインナーチャイルドだと分かった。
インナーチャイルド。2019年の夏に彼に出会ってから、導かれたスピリチュアルな世界の中で、インナーチャイルドのことは度々教わっていた。ツインレイの情報でも、相手よりもむしろ自分を大切にすることが大切なのだと伝えられていた。でも彼のことが好きすぎて、そのやり方がなかなか分からないでいた。彼は私にとって、まるで本当に自分の分身のように安心して愛せる人で、彼と同じくらい私のことを愛してよいのだと理解できてはいて、それもすごいことだったのだけれど、それでも私は自分を愛すること、肯定することが難しかった。数日前、彼が愛してくれている最中に「自分のこと肯定して」と私に言った。何度も何度も、愛するのと同時に、そう言った。「分かった、やってみるね」と私は答えたが、それがなかなか難しいことが分かってきていたところだった。

私の隣に横たわっているインナーチャイルドの彼女は、悲しそうにうつむいていて、私がそっと頭を撫でると、
「他の人じゃなきゃだめなの?」
と消え入りそうな声で言った。

そのとき、私はすべてが腑に落ちた。前に愛した彼女も、今の彼も、妄想の中で出てきて私を愛してくれていたのは、すべてインナーチャイルドの化身だったのだと。彼女は、私が生きる意欲を失わないように、私の愛した彼女になって、また、彼になって、私と現実の辻褄合わせをしてくれていたのだ。彼と出会ってからの、凄まじいシンクロニシティも、すべて、彼女が必死に頑張ってくれていた結果だったのに違いない。彼女が動いたからといって、現実が動くわけではない。それも承知で、彼女は私の愛の強さを知って、私の心が破綻しないように、できるだけ苦しまないように、一生懸命頑張ってくれていたのだ。
私は、そう理解すると同時に、彼女をぎゅっと抱いて、頭をなでながら泣いた。彼女がとても愛おしく、それは「他の人」の比ではなかった。やっと、自分のことを大切にできるかもしれない、と思った。
インナーチャイルドは、泣いている私をいつしか抱きしめてくれていて、その姿は観音様か菩薩像のようだった。インナーチャイルドが、同時に私のハイヤーセルフでもあるのだと分かる。二人はおそらく一つの存在の、別の側面なのだ。彼女たちは、これまでもずっと、私を見守ってくれると同時に、私が生きる上で何よりも頼りにしている直観を、宇宙と連絡を取りながらサポートしてくれていたのだろう。



セキュリティーシステムについては、いろいろな解除工作を試みているが、頭の中で木っ端微塵になっても、一瞬で元通りになってしまい、全然うまくゆかない。それでも、インナーチャイルドやハイヤーセルフの彼女たちと協力していけば、いつか、穏便に解除され、他の人にも見える私になれるのかもしれない。
急ぐ必要はない。
大昔、とてもせっかちだった私は、人生のジェットコースターを経て、今はもう十分、自分を待てるだけの許容量を身につけている。

「ねぇ、今日は何がしたい?」
と聞く私に、インナーチャイルドの彼女は、目を輝かせて、
「お散歩」
と言った。